ひめゆりの塔

沖縄で最も有名は沖縄戦遺跡。真和志村安里(現在の那覇市安里)にあった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校から南風原にあった沖縄陸軍病院に動員され看護活動に当たった、15歳~19歳の少女222名が教師18名のことを戦後「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになる。彼女たちが最後にこもっていた糸満市の壕跡に建てられたのが「ひめゆりの塔」である。

136名にも及ぶ若い少女たちが戦争で命をちらしたことに対して多くの人が涙を禁じ得ない。ひめゆり平和祈念資料館には、彼女たちの生きた記憶が数多く眠っているので、沖縄に来たら是非足を運んでも貰いたい。
ひめゆりに代表される沖縄学徒隊(勤労動員されたその年代の少年少女)は日本軍の命により多くの命を散らすことになった。ひめゆり学徒隊もこの壕にこもっていて死んだわけではない。敗色濃厚の6月18日軍により突然の解散命令が出され、手榴弾を渡されて米軍が包囲する壕を追い出されたのだ。米軍からの射撃に身を隠すすべもなく、海岸まで逃げてもその先に進むすべくもなく自死を選ばざるを得ない形で死んでいったのだある。実にひめゆり学徒隊戦死者136名中117名が6月18日以降に壕を追い出されてから命を落としている(捕まれば親兄弟が死罪となると吹き込まれ自死したとの話も伝わる)。6月23日(慰霊の日)、沖縄の組織的戦闘は終結した。彼女たちが後5日壕にいれたら、大半が戦後の沖縄を生きることができたのだと思うと利用するところは利用し、不要になったら敵包囲のまっただ中に追い出すという当時の日本の軍部の勝手さに憤りを覚える。そんな中、軍の命令に逆らって追い出さなかった軍医のいた学徒隊では多くの命が守られてことも追記しておく。数が正確に把握できていない部分もあるらしいが沖縄県21の学徒隊1913名、戦死者980名(51%)。地上戦の激戦地で県民の4人に1人が亡くなったという沖縄戦の中でも、学徒隊犠牲者の2人に1人は驚異的に高い数値である。

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