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旧小禄飛行場(現那覇空港)を見下ろす丘の上に作られた海軍司令部壕。敗色漂う中、陸軍と別れ孤立してしまった海軍4000名の将兵が重火器もほとんど無い中で米軍と戦闘し玉砕した壕の後。米軍もさしたる武器も無い中で苛烈な攻撃を繰り返す海軍軍人に驚き、勇猛さを記録に残している。戦後水のたまった壕内から2000名以上の遺骨が収集されている。壕内は一部整備され旧海軍司令部壕として公開されている。
旧陸軍の南部撤退を決める会議に呼ばれず、直前に聞き全ての重火器を破壊し陸軍と行動を共にするが、海軍に撤退命令が出ていないということで再び司令部壕へ戻ることになった海軍将兵4000名は孤立し、重火器の無い中で上陸してきた米軍と苛烈な戦闘を行うことになる。結果、海軍はこの壕で玉砕。太田司令官は壕内で自決した。自決直前に太田司令官が海軍次官に打った電文で、沖縄県民がいかに本土防衛のために戦い散っていったのかということを伝える名文は今も残されている。当時の自決前の電報の決まり文句だった、「天皇陛下万歳」も「皇国ノ弥栄ヲ祈ル」も使われておらず、次の一文にて結ばれている。「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」。