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旧小禄飛行場(現那覇空港)を見下ろす丘の上に作られた海軍司令部壕。敗色漂う中、陸軍と別れ孤立してしまった海軍4000名の将兵が重火器もほとんど無い中で米軍と戦闘し玉砕した壕の後。米軍もさしたる武器も無い中で苛烈な攻撃を繰り返す海軍軍人に驚き、勇猛さを記録に残している。戦後水のたまった壕内から2000名以上の遺骨が収集されている。壕内は一部整備され旧海軍司令部壕として公開されている。
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旧小禄飛行場(現那覇空港)を見下ろす丘の上に作られた海軍司令部壕。敗色漂う中、陸軍と別れ孤立してしまった海軍4000名の将兵が重火器もほとんど無い中で米軍と戦闘し玉砕した壕の後。米軍もさしたる武器も無い中で苛烈な攻撃を繰り返す海軍軍人に驚き、勇猛さを記録に残している。戦後水のたまった壕内から2000名以上の遺骨が収集されている。壕内は一部整備され旧海軍司令部壕として公開されている。
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「ざきみぐすくあと(じょうせき)」と読む。中部読谷にあり沖縄では有名な護佐丸の築城と伝えられている。戦中は、日本軍の砲台、戦後は米軍のレーダ基地となり返還後壊された一部の城壁が復元された。
“座喜味城跡” の続きを読む
南部南城市玉城の高台にある城(グスク)跡。12~13世紀頃築城されたとされるが詳細不明。沖縄を作った神、アマミキヨが作った城との伝承はあるが定かではない。
“玉城城跡” の続きを読む
琉球の開祖、アマミキヨが久高島からヤハラツカサ(百名ビーチにある)に降り立ち、そばの浜川御嶽(ウタキ)に仮住まいした後、本格的にミントングスクに居住したとの伝承がある。
“ミントングスク” の続きを読む
かきのはなひーじゃーと読む。南城市玉城垣花にある湧き水。環境省の名水百選に選定されている。名水百選に選定されている水場は、沖縄県ではここだけであり、その意味では最南端の名水といえる。
“垣花樋川” の続きを読む
南城市糸数にある全長270mの自然洞窟(沖縄ではガマという)。ここはその後より南部へ撤退する「ひめゆり学徒隊」の看護学生が昭和20年5月25日まで野戦病院として使っていた。
“糸数アブチラガマ” の続きを読む
沖縄で最も有名は沖縄戦遺跡。真和志村安里(現在の那覇市安里)にあった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校から南風原にあった沖縄陸軍病院に動員され看護活動に当たった、15歳~19歳の少女222名が教師18名のことを戦後「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになる。彼女たちが最後にこもっていた糸満市の壕跡に建てられたのが「ひめゆりの塔」である。
“ひめゆりの塔” の続きを読む